解雇通告

こんばんは。

やっと1人の時間ができたWATでございます。


皆様にはご心配をおかけしております。

荷物も整理し、心も整理し、先月帰国しました。



解雇が決まりましてからてんやわんやでした。


この数週間に何が起こっていたかざっと書き記そうかと思います。



6月末日、会社に呼ばれました。

私は午後に呼ばれていたので、午前中に呼ばれた同期から、解雇だと報告を受けました。

その後、家族に報告をしました。

5歳の息子にも分かる様に説明しました。


「ドバイにバイバイして日本に住むんだ。友達ともバイバイして、日本でじーちゃんばーちゃんと暮らして新しい友達を作るんだよ。」と。


この時が一番辛かったですね。

涙を堪えきれませんでした。

家族皆で泣きました。



午後、家を出る時息子に「いってらっしゃーいエアポート頑張ってねー‼︎」と見送られ、

あ、息子分かってねぇな(笑)と思いつつ。クビ切られに行ってきますと家を出ました。




途中、前の会社の同僚のフランス人から電話がかかってきて、噂を聞きつけ心配してかけてきてくれた模様。今まさに切られにいくと言うと、言葉を失っていました。そりゃ彼の様なお喋りな奴でも衝撃的なタイミングでしょう。


会社に呼ばれたとは言え、行き先は訓練所。

混乱を避ける為でしょう。

車を降りると、人事の人達真っ赤な目をしていました。なんせこの会社で大量解雇なんて創業以来した事ないですから、皆心の整理がつかぬまま当日を迎え、涙を流しながら仕事に当たっていたのでしょう。誰もこんな事はされたくないし、したくもありません。



その後、マネージャー達の個別オフィスに一人づつ通されました。

私を担当してくれたマネージャーは、マスクをしてても明らかに疲弊していました。


彼等は訓練部のマネージャー。今まさに情熱を注いで訓練している人間達に解雇を通告しなければいけない心境は、想像を絶する辛さでしょう。彼等が決断した訳ではなく、彼らは単なるメッセンジャーですから。切られる私がそんな事を思うのもおかしな話ですが、あの会社でこの様な事が起こるなんて誰一人として思っていなかったのは明らかですから。


合計で9半年在籍した会社なので、よく分かります。


重いマネージャーの口が開かれ、現在の会社の状況が説明され、解雇を通告され、コンディションが説明されます。

書類数枚を渡され、それが何の書類であるか説明されます。

その後は質疑応答。

30分以上だったでしょうか。解雇通告にしては誠意的に話をしてくれたと個人的には感じました。



「君達は何一つ悪くない」と何度も強調され、「時が来ればまた帰って来て欲しい」とも言われました。

しかしそれは書面には残らない口約束。

残念ながらそれは何の意味も効力もない慰めでしかありません。

実際、ではその時のプロセスはどうなるのかと聞いても、今は答えられないの一辺倒。

正直、そこまでプラン出来る状況にないと言われました。

その日生き残るのが精一杯な状況なのでしょう。

そこは理解できます。



彼の本音と信じたい綺麗事をたくさん並べられ、書類を手に部屋を出ました。

下にいる人事やオペレーションのスタッフが涙を流しながらGood luckと握手をしてきました。

そういえば昔のこの会社はまだ小さくて、一人一人の事を考えてくれる会社だったなと思い出しました。



皮肉にもその訓練所は17年前、客室乗務員としての訓練初日から苦楽を経験し、その後の訓練も昇進もその建物で、パイロットとして戻ってきても多くの時間を過ごした建物。そしてそこでクビになりました。


ちょっと離れて正面から眺め、心の中で別れを告げてから帰路に着きました。


家に帰ると息子が「早かったねえ」と迎えてくれました。

わかる訳ないよなこのクソみたいな状況(笑)



その日からてんやわんやの引越しが始まります





—–

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA