怒涛の引越し1

こんにちは。

あまり冷房の効いてない日本の夏にだいぶやられつつありますWATでございます。

年がら年中冷房の暮らしでしたので参ってしまいます。。。

さて、引っ越し…

クビを宣告されてから15日で国を出ろといわれました。

無理。

数ヶ月前にドバイに引っ越してきた訳ではなく、ここに17年も住んでるんですから半月で一軒家の荷物をどうにかしろなんて無理。

もう夜逃げも考えました。

何から手をつけていいかも分からず、ただ呆然とする時間が過ぎました。

息子はオンライン授業があるので妻は昼間付きっきり、その間の家事を私が娘を背負いながら生活している状態でさらに引っ越し⁈

途方に暮れるとはこの事なんだと思いました。

そんな中、首切りのニュースはすぐに広まり心配してくれた前の会社の同僚や友人達からたくさん連絡をもらって心の支えになりました。

このブログの読者の皆様からもコメントやメッセージでたくさんの励ましのお言葉を頂きとても感謝致しますと共に、ろくにお返事も出来ていなかったことをお詫び申し上げます。

正直、私達家族だけではどうにもならないことしかありませんでした。

クビ宣告されてから数日はただ1人で焦って右往左往。

しかし3日くらい経った頃でしょうか。

用事を済まし色々考えながら車を走らせ家に帰る途中、張っていた気が急にプツンと切れ急に涙が止まらなくなりました。

車を路肩に止めてしばらくして、友人に電話しました。

電話の向こうで、どうしました〜⁈と聞いてくれたらまた涙が溢れてきてしばらく何も言えず、やっと出てきた言葉が

「助けて」でした。

わかりました今行きます‼︎

と言って電話を切った友人は本当にすぐに来てくれました。

しかし「助けて」の一言を言えた事で不思議な事に気持ちが少し切り替わりました。

仕事がなくなったのはこの際はっきり言ってどうでも良く、荷物まとめて帰国しなければならない事実を受け止めて作業を淡々と進めなければならないと自ら言い聞かせました。

妻とも逐一相談し、方向性を確認しながら確実に少しずつでも進めていきました。

友人達にもこの時ばかりは頼ろうとも。

自分はこんなに人に頼り慣れていないとは知りませんでした。

でも今頼らずにいつ頼るの⁈と妻に諭され、恥だと感じつつも、コロナ禍に迷惑ではないかと心配しつつも、この時ばかりはなるべく友人達に頼りました。

嫌な顔一つせずに手伝ってくれた友人達には感謝しかありません。

会社のパイロットコミュニティも家財道具売買専用のグループをFBで立ち上げてくれ、紳士協定として言い値で買うことを前提に売買を手伝ってくれました。

お陰で大きな家具はすぐに売れました。

ですが買ってくれた人が解雇第2波で切られたりして心が痛みました。

ドバイに住む日本人の方々にも沢山買っていただきました。中には何度も足を運んで頂き子供の玩具などを持って行って頂き、感謝しかありません。玩具は持って帰るのも限界がありますし、思い出のものはやっぱり捨てられません。

妻と子供の大量の服や靴。これはもう彼女の趣味ですので今まで何も言いませんでしたが、今回ばかりは心苦しくも多分着るのは手放して、絶対着るものだけ箱に詰めてと言いました。

その結果、リビングがブティックになりました(笑)

だいぶ売れたりあげたりしましたがそれでも山ほどある残りを捨てるのを躊躇していた所、お隣さんがボランティアでUAEにいるシリア人難民支援をしている人を呼んでくれると言ってくれたので、そちらに玩具も含め全て寄付しました。

誰かが喜んで着てくれるならと妻も納得してくれました。

車も友人が買ってくれました。

愛車だったので知っている所で大切にされ走ってくれてるのが分かるだけで安心です。

そうこうしているうちに帰国予定日まであと数日。が、チケットが来ていない‼︎

会社の担当者に連絡してもなかなか返事が来ずイライラしていると、時刻表からその日には飛ばない事が判明。まだそもそも旅客便がほとんどない状況でしたから。

で言い渡された出発日はさらに2週間後。

おいおい家財道具ほぼ売っちまったよ…😩

第2波で家具売買する人が増えてマーケットが飽和していたので先に売れたのは良かったのですが、計画が…

でも少し余裕が出来たので良しとします。

続く

 
 
 
 

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