怒涛の引越し 最終章

こんにちは。

陽性だったわけじゃないですが現在一人でホテルに籠る毎日で頭がおかしくなりそうなWATでございます。

こんな所でうつされたくないので自主的に隔離です笑

さて相変わらずの放置でなかなか書けていませんが、今回で帰国の件は終わりにします。

正直もう気持ちも切り替わっていて、後ろ向きに可哀想な自分をひけらかす様な記事は書きたくありません。

ただ友人達への感謝の気持ちと自分への戒めを忘れないために書きます。

出国が延期された2週間のお陰で多少は落ち着いて作業ができました。

会えないと思っていた友人達にも会えました。

息子は幼稚園を修了出来ましたし、最後数週間は友達とたくさん遊べて楽しそうにしてたのが嬉しかったと同時に、しばらく会わせてあげられないのが悲しく、込み上げてくるものがある時も何度も。ロックダウンが解除されたばかりのドバイで、毎日の様に息子を預かって遊ばせてくれた友人達に感謝です。

廃品回収のパキスタン人のもはや芸術的な積み方🤣

最後に荷物を搬出して最後に掃除して出るのですが、友人達に助けてもらい広い家をちゃんと片付けて出ました。

そこから1週間のホテル暮らし…のはずが‼︎成田のグランドスタッフのマネージャーからメッセージ。

『WATさん、帰国される日飛行機飛びませんよ?会社から何か言われてませんか?』

と心配してメッセージを頂きました。

同時に後輩からも同じようなメッセージが。

どーゆーこっちゃ⁈

繋がらない電話を何度もかけ直しやっと出た所で問い詰めると、

『いやそれは聞いてない。確認する。』

と。

私達が切られてからその日までさらに第二波の解雇があり、会社もとんでもないことになっている様で、第一波の人達は忘れられてた模様。

ふざけんな‼︎と怒鳴りたい気持ちを抑え新しいチケットをもらうと、さらに一週間先の成田行きの復帰初便を貰いました。

結局それで帰れる事になったのですが、思い返せばひと月ちょい時間があったのにこんだけ焦らされ、やり場のない苛立ちともうどーにでもしてという諦めと早く帰りたいって気持ちとぐちゃぐちゃな感情の一週間でした。

そして帰国の日。

ローカルの友達に車を出してもらいドバイ空港へ。

普段洋服着ている友達。その日はあの白い民族衣装着てて、お祈りでも行った帰りかな?とくらいにしか思っていませんでした。

コロナ対策で旅客しか入れないターミナルだったのですが、その衣装のお陰でセキュリティ突破‼︎ローカルパワー炸裂‼︎彼を見るとマスクの下でニヤッとしてウインク。コイツわざと着てきたな(笑)

にしても、彼とは何年も家族ぐるみで仲良くしてて、今回もとても世話になりこうやって最後まで見送りに来てくれ、とても感謝です。

チェックインも無事に終え、イミグレ手前で友達と写真を撮って別れ、いざ出発。

これでしばらくドバイ、バイバイです。

機内では家族で付き合いのある仲の良い同僚が乗務してて、何度も様子を見に来てくれて安心でした。

慣れた機内ですがやはり身近な人がいるといないとでは全く違いますからね。

子供達も慣れたもので2人ともいい子ちゃん。

相変わらず機内ではあまり寝れない奥さんは辛そうでしたが。

そして成田到着。

付き合いの長いグランドスタッフの皆さんが出迎えてくれ、忙しい最中に声を掛けて下さいました。

またハンドリングで働いている従兄弟姪も仕事たくさんあるのに来てくれました。

忙しいなか恐縮でしたが嬉しく、やっと帰ってきたんだとちょっと実感しました。

そして待っていたのは防護服に身を包んだ検疫官。

まるで旅客は菌扱い。

こんな思いをしてやっと母国の土を踏んだのにこんな扱いか。

と最初は正直思いましたが、とてもリスクの高い仕事をされているので当然ですよね。

我慢です。

当時は鼻からのPCRを子供達含め家族全員受け、迎えがない上に到着時間的にレンタカーも借りられなかったので、国が用意してくれたホテルに検査結果が出るまで二泊三日待機する流れになりました。

何でレンタカー屋は8時や9時には閉まるんでしょう。私達以外にも必要な人はいるのに…

厚労省のホームページをしっかり読んだつもりでしたが色々疑問点が多い上に、菌扱いは続き、こちとら乳飲み子抱えて荷物も多いのにあっち行けこっち行けと言われ、長旅の疲れもあってイライラ限界。

別に助けてくれなんて思ってなかったのですが、遠巻きからボーッとそんな私の様子を眺めてる検疫の人達を見てプチン。

大人気なくもスーツケースをカートに投げ入れてしまいました。

遠くでオロオロする人達。何も悪い事してないんですよ。でもごめんなさい。

私の勝手で自分の荷物に当たりました。

世の中全てが理不尽に感じて我慢出来ませんでした。

空港でこんな時に誰も働きたくなんてない中、帰国者を誘導してくれたりホテルの手配してくれたりと係の方々はとても立派なお仕事をされているのは頭では分かっていたのですが、イライラしている人を見てどうしたらいいか分からなかったのでしょう。愛想笑いなのか固まった笑顔なのかわかりませんが、それすらにもイラついてしまいました。

心の狭い人間ですね、私は。

南の税関から出て例の段ボールベッドのある北の待合所に通され、ホテルの割り振りをされました。ホテル係の方々に小さな子供のいる家族というのを考慮していただき、大きめの部屋を頂くことになりました。

その後家族を待たせて私は別送品の関税を払いに行きましたがその間、バスが出るから早くしてくれと舌打ちしながら腕時計チラチラ見ながら後ろから文句言ってくるバス係員。そんなに急ぐなら次に乗りますと言うと、これが最後なので乗ってくださいと。

待ってやってるんだよと言わんばかりの態度。何なんだよ。早足で歩く後ろを普通に歩きました。するとバス停はまた南の税関出口の先の一番向こうの停留所。なんなのこの無駄な動線?全くこっちの事なんて考えてない。

菌扱いなのでもちろん荷室には自分で荷物を入れ、乗り込んだバスの窓には目張りがされ、シートから通路から全てビニール張り。完全に菌扱い。もう笑うしかありません。

ホテルは東横インでした。

ホテルでの対応は逆にとてもいい印象を受けました。

荷台を進んで出してくれたり、子供用の水などもたくさん頂きましたし、対応は非常に良かったです。どなたがホテルの方なのか検疫の方なのかはわかりませんでしたが、総じてよくして頂きました。

水は水道水飲めと書いてあったのには驚きましたが…もちろん飲めなくはないですけど、私らの様に日本にしばらく住んでいなかった人間が飲むとPPになりますよね?

毎日三食食べれんばかりの量のお弁当を頂きました。

配給の前に館内放送が流れ、今から配給に来るからドアを開けないで次の放送まで待てと。配給が終わるとその旨のアナウンスがまたあり、お弁当を扉の前の椅子の上から取るという仕組み。よく考えたなあ。

2日目は家族でゴロゴロずっと眠りました。

皆疲れピークでしたから結果的にホテルで2泊出来たのは私達にとっては良かったと思います。

そして娘が歩き出してしまいました‼︎

それまで一歩足を出してデーンと座っていたのですが、そんなに暇だったのか部屋で急に歩き出してビックリでした👶🏻

3日目の朝、電話で陰性の報告。

レンタカーを予約してホテルから歩いて車を取りに行きました。

この海外から帰ってきて公共交通機関を使わないで帰れって仕組み、どうにかならないんですかね。空港で陰性証明できたから帰るのに。自宅で待機しながら結果待つのならそれは分かりますが。それなら一律14日間隔離を用意したホテルでやればいいのに。飛行機乗る何日か前に検査するとか、成田から主要駅までバス出すとか。遠いんですよ成田は。

謎が多すぎます。

でもちゃんと律儀に従ってレンタカーで東京の実家まで帰り、レンタカー返しに行って、レンタルサイクルで帰ってきました。

やっと実家です。

そして二週間家から出ずに過ごし、それが終わったら妻と子供を北海道に返しました。私は東京で色々やりますので暫く別居です。奥さんの街ではまだ陽性者出てないので、今は安全な所に奥さんと子供を置いておくのが優先です。家族一緒にいられないのは寂しいですが、全ては求められません。

送る時に羽田で飛行機を見て暗い顔してたのを息子に心配され、母に後で怒鳴られましたが。。。笑

こんな感じでやっと日本でひと段落。

疲れたので焼肉食べたくて、ビールも一杯飲んだら…その夜見事にマーライオンでした。

ストレスが胃腸にきてましたね…

脂に耐え切れませんでした。

しばらくは身体を労わろうかと思います😂

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