こんばんは。
今朝ほど、ドバイに帰ってまいりました。
もういっっっっっっっそがしくて、
ブログどころかコメントにも返信できなかったこと、お許し下さい。
まえの記事もPCで見ると文字が真っ黒で読めなかったのも、
今気づいて直しました。
ダメダメでしたね(笑)
とりあえず、えっと、どこから話しましょう。
まず、前の記事で旭川まで着きましたね。
そこから車で2時間車で北上した小さな町が奥さんの地元。
着いた日が13日で出産予定日だったのですが、
雪の降る寒い北の大地に出てきたくなかったのか、
ぬくぬくのお腹の中から全く出る気配なし、
17日に入院して陣痛促進剤投与。
18日朝からやっと陣痛が始まり、
11月18日13時47分、3206g、50cmで産まれました!!
奥さんも健康です。
やはり総合病院だと、何かあった時のことを考えると安心ですね。
奥さんいわく、ミニWATが出てきたと思ったらしいです(´∀`)
母にはお地蔵さんと言われてますが、長い目のイイ男です!!
ただ、その次の日、私が急性胃腸炎で救急搬送されました(;´Д`)
考えたら、月始からチェックや何やらで、
終わったら8000km向こうの北の大地まですぐに移動して、気温差40℃で、
なかなか息子も出てこず奥さんの実家に長期お世話になり、
入院期間ずっと付き添ってて、壮絶な出産の立ち会いをして、
産まれて一気に気が抜けてその夜に飲み食いし過ぎたら倒れますよね(笑)
息子も適応障害?なる、要するにこの世に適応できていない、
新生児によくある不安定な状況が続き、
ブドウ糖となんちゃら菌予防の抗生物質をNICUで点滴されてて、
親父は救急で脱水症状のためのブドウ糖と吐き止め点滴を同じ病院で…
ある意味、忘れられない一日になりました(笑)
そして4日後、息子の点滴が外れた日に私はまた移動しなければなりませんでした。
次の日には退院なのに。。。
後ろ髪を引かれる思いとはまさにこの事。
看護師さんに許可をもらって面会時間外に一目会って、北の大地から東京に移動。
実家に一泊して、次の日は朝イチのバスで軽井沢へ。
親友の結婚式に参列するためでした。
どうしても参列しなければならない20年来の親友の結婚式。
でも、あいつの大事な日に私がちゃんと日本にいられるように、
この時期に産まれてきて、
俺が去る前に点滴も外して心拍も安定させて起きて待っててくれた息子は、
生まれながらにしてと~ってもイイ子だと思ってます。
親バカとでもなんでも言ってくだされ(´∀`)
可愛くてしょーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーがないんです!!
そして次の日のバスで東京に戻り、
ドンチャンお七夜を私抜きでやっている北の大地に一報を入れ、
寝不足で疲れ果ててる奥さんと、ふえぇぇ~と泣く息子と電話で話し、
その日の夜に羽田からドバイに飛びました。
朝こっちについて、スーツケース開けて冬物の洗濯。
ここ数日の移動の嵐で座りすぎで尾てい骨が痛くて、
飛行機で12時間もあったのになかなか寝られなかったので仮眠し、
そして今に至ります。
もーねむいです。
2週間近くも日本にいて、
毎朝NHKの朝の連ドラ見るような早寝早起きしてたら流石に時差ボケです。
規則正しい生活して時差ボケって、普段の不規則さがわかりますね。
そして三食北海道のおいしいごはんを頂いて、
実家じゃ冷蔵庫空になったんじゃないかと思うほどどんどんご飯出され、
結婚式ではフレンチ頂いて。。。
恐怖の体重計にはしばらく乗らないことにします(笑)
世の中のお母さん、どんな分娩であろうが命懸けで新しい命をこの世に産み落とす。
世の中のお父さん、家族と離れてどんなに心配しても家族のために仕事を頑張る。
わかっていたと思っていましたが、いま自分が親父になってはじめて、
わかっていたつもりだったんだと思いました。
息子が生まれてすぐに東京の母に電話で報告した時に、
その状況より、涙を流しながら感謝の言葉を伝えずにはいられませんでした。
私の親父はあまり多くを語らない職人でしたが、こんな思いをしていたのかと思うと、
尊敬の念がさらに大きくなりました。
すぐにはなれないでしょうけど、
いつか自分の両親のような立派な親になろうと思います。
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